自分で決めないことの「納得度」への影響

自分で考えて、自分で決めない人が、誰かに考えてもらって、誰かに決めてもらうことが多いとするなら、結局のところ、いつでもどこでも誰かのせいにしたいということなのでしょうか?(習慣化していると、当人は気がつきにくいかもしれませんね。)

もし「楽をしたい」という気持ちがあって、自分で考え、決めることを放棄するのなら、自ら「納得度」を下げているということにもつながるのでは?そして、その場合は「人に使われている感」も増すのだと思います。

「セルフ・リーダーシップ=おのれシップ」、大事です。

(O)

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PDCAよりTDD™

PDCA?

plan
do
check
act

悪くはないけど、大抵の場合PDCAのどれもが弱くて、ほとんど機能していないのでは?と、ずっと思っていました。

じゃあ何?

TDD™です!

think
decide
do

これなら、イケるというケースが増えるのでは?と思います。

(O)

コミュニティの更新

自分の周りにいる人たちの顔ぶれは、時と共に自然に入れ替わっていきます。でも、それを意図的に積極的に行うことで、環境の変化を自ら創っていくこともできるのです。

わたしは、そのことを寂しく感じる必要はないと思っています。

***

「未来行きの汽車」

「発車します。お乗りになりますか?」
「何処へ?」
「さあ、それはあなた自身でお決めください。」

私は
すこしの間ためらってから
思い切って乗り込みました。
小さなスーツケースにおもいきり希望を詰め込んで。

ふと見れば
となりのぷラットホームにとまっている汽車は
なんだかずっと乗り心地が良さそうです。
窓には懐かしい顔が並んでいます。
大きな声で私をよんでいるのも聞こえます。

でも私は決めたのです。
この汽車に乗ろうと。

あの汽車に乗っている人々には
もう二度と逢えないかもしれません。
たとえ逢えたとしても
もう同じ切符を持たず、同じ言葉も持たないかもしれません。

さびしいような気がします。

でも
それで良いのです。

私は
先へ行かなければならないのですから。

***

この本を初めて手に取ったとき、わたしはとても勇気づけられました。

(O)