「意図的LIFE™実現の決定的条件」とは?

『「意図的LIFE™実現の決定的条件」とは?』
「エントリーの最適化、インテリジェンスの最強化、パフォーマンスの最大化」です。

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「意図的LIFE™」を生きるということは、能動的に生きるということです。自分で考え、自分で決め、その責任と自由を負って生きることが、納得のいくLIFE(生活・人生・命)を送り、自分を周りを社会を幸せにすることにつながると、わたしは考えています。

その実現を決定づける条件として挙げるのが、「エントリーの最適化、インテリジェンスの最強化、パフォーマンスの最大化」です。

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毎日をゆったり過ごすことと、志をもって邁進することは矛盾しないと知っていますか?

『毎日をゆったり過ごすことと、志をもって邁進することは矛盾しないと知っていますか?』
何でも「二極化」して「AかBか」になる人がいます。包括して観れば、矛盾しないことはたくさんあります。総合的にデザインしましょう。

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平べったい世界観のなかにいると、思考は二極化しやすいのでしょう。

何事も立体的に観る目があれば、現状や未来へのデザインも変わってきますね。

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インテリジェンスやパフォーマンスを測定する方法として、何が用意できますか?

『インテリジェンスやパフォーマンスを測定する方法として、何が用意できますか?』
自身で問いを持つことも必要でしょう。他者からフィードバックを受けることも有効でしょう。他には、どのような方法がありますか。

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「どうなりたいか」「どうありたいか」によって、何を測定する必要があるのかは違ってきます。

自分で「今の状態のここを何とかしたい」と具体的に思っていることがあるなら、問いを持つことで、ある程度、現状を確認し、更新し、変えていくことができるでしょう。

他には?
コーチやトレーナー等からのフィードバックは、その人がどこへ向かっているのかを共有できていれば、機能します。(目的地を共有できていなければ、ただの感想にしかならないでしょう。)

更に?
アセスメントやチェックリスト、スケールなど、測定の単位や方法を含め、何かしら用意できるものがあるのではと思いますが、どうですか?

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インテリジェンスとパフォーマンスの関係は?

『インテリジェンスとパフォーマンスの関係は?』
インテリジェンスとパフォーマンスは、「陰陽図」のように相互に関係しています。バランスというよりも、互いにフィードバックさせ、螺旋を描くように「最強化」「最大化」させることが必要です。

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陰陽図の白黒それぞれの円の中に、更にこの図があると想像してください。

そして、これを長いヒモの断面図として見てみる。 上から見ると、DNAのらせん構造に近い形を採っているのでは、と思っています。

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現在、あなたが選択しているアイデンティティやエントリーは?

『現在、あなたが選択しているアイデンティティやエントリーは?』
エントリーは、最もやる気の出る、しびれるようなものでないと意味がありません。できるとわかっていることは黙ってやればいいのです。本当に「届きたい!」と思うものに手を挙げましょう。

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20年前、とても似合っていたものでも、です。今も同じ調子で着続けると、さすがにおかしなことになりますね。

「最新の自分」に焦点を当てて、エントリー(アイデンティティの選択)も見直す必要があります。

今の自分が、やる気の出る、しびれるようなものに手を挙げる。大抵の場合、それは「できるとわかっていること」ではなく、「できるかどうかわからないけど、やりたい!」と思うことではないでしょうか。

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要注意!「無礼者」とは?

『要注意!「無礼者」とは?』
自分の目に見える「知心技体」への敬意と、自分の目に見えていない「知心技体」への想像と畏怖がない者のことです。

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自分はその専門ではないのに、プロフェッショナルに対して、なぜか同等気分でいるような発言をする人がいます。これは、勘違いであると同時に、その人の抱える劣等感も関係しているのかもしれません。

自分の目には見えていないものがある、わかっていないことがある。そして、それらが見えている人がいる、わかっている人がいる。という事実を忘れずにいるだけでも、世界観は違ってくると思うのです。

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自分とは違う考え方にも耳を傾け、最善と思しき方法で行動していますか?

『自分とは違う考え方にも耳を傾け、最善と思しき方法で行動していますか?』
容易に優劣や善悪の判断に飛びつきたくなったら、そこには自身の思い込みがあるのかもしれません。

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個人の思い込みと、事実や真理の違いはどこにあるのでしょう。
その違いを証明することは可能なのでしょうか。
また、証明する必要はあるのでしょうか。

多くの人がいいと言うものが、絶対的に正しいわけではありません。また、自分がいいと思うからと言って、他の人にとってもいいというわけでもないでしょう。

正しさは、いつもその人のものでしかなく、それをわきまえた上でベストを尽くすしかないのだと思います。良心、そして責任と共に。

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